扶余王陵園は泗沘時代(538~660)の百済王陵墓域である。
東の羅城のすぐ外側に位置している。 7基の古墳を中心に東と西にもそれぞれ古墳が分布しており、大きく3つの墓群に分かれている。 このうち中央区域に位置する墓がその大きさや位置から見て泗沘時代の歴代王の王陵だったと推定される。
7基古墳のうち東下塚である1号墳には四神図が描かれているが、これは高句麗と百済の交流を証明する貴重な文化財である。 日帝強占期の1915年以来、数回調査されたが、副葬品はほとんど残っておらず、漆と金箔で飾られた棺の破片だけが残っていた。
最近、羅城と陵山里王陵墓域の間の渓谷からここに安置された歴代王の冥福を祈る寺跡が調査されたが、そこで百済金属工芸の真髄である百済金銅大香炉(韓国国宝第287号)と百済昌王銘石造舍利龕(韓国国宝第288号)が出土し、百済文化の優秀性を実感するきっかけとなった。
扶余王陵園は韓国史跡第14号に指定されている。入場時間は09:00~18:00(3~10月)、 09:00~17:00(11~2月)で年中無休だ。
*参照webページ: 부여문화관광
(buyeo.go.kr)
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