千年の歴史を持つ儒城温泉
1994年の観光特区指定後、観光客が大幅に増加
2014年をもって、温泉は衰退後停滞
地域活性化のための主な成長動力として期待される儒城温泉
国土研究院が2020年11月に発刊した「温泉観光地区の活力増進のための都市競争力確保方法」研究によると、温泉は2014年を基点に衰退しています。 儒城区は2020年文化体育観光部主管「2020年温泉地区観光拠点公募事業」選定以後、儒城温泉地区活性化に注力しています。 時代によってコンテンツの消滅は自然なものですが、それでもなぜ儒城温泉なのでしょうか。
1994年、儒城区は済州、慶州、釜山など全国5地域とともに韓国初の観光特区に指定されました。 儒城が観光特区に指定された理由は交通の中心で、1993万博以降、外国人や観光客誘致の経験があったからです。 そして、儒城温泉という魅力的なコンテンツも一役買っています。
儒城温泉地区は温泉を中心に宿泊施設が発展しました。 観光特区指定の目的は、外国人観光客の誘致促進です。 観光特区指定時に「外国人観光客年間10万人以上、公共便宜施設および宿泊施設を整える」という条件があります。 この当時、儒城温泉地区には約10のホテルと200余りの宿泊施設がありました。
儒城温泉は千年の歴史を持つとも言われています。 儒城温泉の開発は日本の植民地時代に行われましたが、その記録は三国時代まで上がります。
記録文献に儒城温泉が初めて登場したのは『高麗史』56巻です。 また、『世宗実録』と『太宗実録』に王が儒城温泉を訪れた記録もあります。 朝鮮王朝が始まった頃には王様が休養するほど立派な温泉だったことが推察できます。
儒城観光特区指定は儒城温泉地区に多くの観光客が訪れるのに十分でした。 当時の観光特区の最大のメリットは「通行禁止の解除」です。 当時、夜間の営業時間は限られていました。 「風俗店が過消費と退廃風潮を助長し犯罪の温床」になるということが理由でした。 このような状況の中、営業制限を緩和した観光特区には周辺都市から遊びに来るお客さんも多かったです。 必ずしも温泉でなくても、儒城温泉地区に宿泊施設が多く、うまくいった理由は他にもあります。
「かつてはソウルのお客さんもいました。 夜間の残業時間が制限される頃、儒城区に移ってくるのです。 ここは遅くまで遊べるし、以後宿泊施設も多かったですから。 また、どこからでも来るのもいいですし」
モーテルのオーナーが覚える過去の栄光の90年代儒城温泉地区です。
また、西海岸高速道路ができる前、論山、沃川に行く道は常習渋滞区間でした。 ソウルから釜山に行くには丸二日かかることが多かったです。 その時、経由地として大田を多く選んだそうです。
交通が良くなかった時代の話です。 その時は毎回宿泊施設のほとんどが部屋がいっぱいで、お客さんを善花洞の方に案内したりもしました。
また70年代、海外旅行が自由ではなかった時代、新婚旅行は通常、国内旅行でした。 景色の良い俗離山、雪岳山に登り、釜山で刺身を食べ、大田の儒城温泉に来てからは温泉を楽しみ、一晩泊まることが多かったです。
儒城ホテル、キョンハ温泉ホテル、鶏龍スパテルを訪れた新婚夫婦が多かった時代があります。 温泉を楽しみ、翌日には東鶴寺へ旅に出るコースがほとんどでした。
観光特区として交通の要地として、また誰かにとっては温泉を楽しめる観光スポットとして人気を集めた儒城温泉地区です。
観光客の人口が多いため、大型飲食店も多かったです。 韓定食店、日本料理店など団体客や接待のための店も多かったです。 しかし、時代は次第に変わっていきました。 交通の発展で全国は一日生活圏となり、夜間の営業統制も廃止され、観光特区のメリットも消えました。
また、温泉というコンテンツ自体の競争力が低下しました。
風船を大きく吹いて風を除けば昔の姿を取り戻すことが難しいように観光客がたくさん出入りした儒城温泉地区も過去と現在の乖離感からさまようところです。
それでも儒城温泉地区に注目する理由は、都市のアイデンティティと地域発展の可能性のためです。 儒城温泉は全国で最も古い温泉であり、韓国の温泉利用度が最も高い地域です。 都市コンテンツは、すなわち都市のアイデンティティです。 世代間の都市記憶をつなぐのが都市コンテンツです。 長年中心となった温泉が捨てられない理由です。 それなら今必要なのは、温泉を新たに眺める見方が必要です。 過去とは違う文脈で温泉を眺めて新しくブランディングすることです。 このような地域課題は、大学内の若者とともに解決し、世代間のつながりを築くことができます。 儒城温泉地区を中心に大学と研究団地が密集しています。 儒城区の多様な資源を一つにまとめて新しい未来を開くことができるキーが儒城温泉地区にあります。
[出典]コリアツーリズム
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