百済時代最大の渡し場、人間を愛した熊の悲しい話が伝えられる松畑、錦江の水神と熊に祭祀を行った熊津壇、熊を祀った祠堂がある。
コマナルは生い茂った松畑の錦江沿いに位置している旧カンナルの名前であり、公州市の旧地名でもある。
公州市熊津洞の北側をぐるぐる回る川渡し場、燕尾山が向かい合う川側に熊津水神之檀が設けられている。 この水神檀の由来は、国が主管して祭祀を行う2ヵ所の壇に由来する。
山神に祭祀を行っていたところが鶏龍山中嶽壇で、水神祭を行っていたところがゴマナルの熊神檀である。
コマナル松畑の川辺の熊神壇は春秋の祭祀だけでなく、重要な行事がある時も告由祭を行い山川の神霊に加護を祈願したところだった。
壬辰倭乱(文禄の役)の時、義兵を起こして清州城奪還に大きな功を奏した趙憲に対する研究書『趙憲研究』によると、「1592年7月4日、 趙憲は熊津熊神壇で義兵を糾合し、敵を討伐するための祭祀を行い、清州城戦闘に出陣した」という記録が確認されている。
これは熊津壇が国事を祈願する重要な祭壇であったことをよく物語っている。 コマナルの所在地である熊津洞の旧地名が龍堂里だ。竜王神を祀った堂があるため名付けられたことは百済時代から由来してきたコマナルをよく物語っている。
*写真出典:공주시 (gongju.go.kr)
*参照webページ: 공주시 (gongju.go.kr)
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