錦江は狩猟、漁労、採取など獲得経済に依存して生活していた旧石器人たちに暮らしの基盤を与え、公州の歴史·文化と調和し、地域の根になってきた川である。
公州市反浦面馬岩里の蒼壁をはじめ灘川面汾江里に至るまで32kmの水路に伸びた錦江は、蒼壁、石壮里の旧石器遺跡、公山城、ゴマナルなど公州の名勝を通る。
公州の名勝に至ればどこも錦江と調和した風景に触れないところがない。昔から詩人たちの足が絶えなかった蒼壁に上がれば錦江を横切った靑碧大橋を渡って水路と共に伸びた32番国道が調和し、石壮里旧石器遺跡に至ると錦江と調和した旧石器遺跡が神秘的である。百済熊津時代を堅固に守った公山城に登り、城壁を歩けば歩くほど変化に富む佳境、錦江があるからこそ公山城があることを初めて感じることができる。黄布帆船が漂っていたゴマナルは公州の旧地名、百済の中心だった。
錦のように美しいことから付けられた名前「錦江」は、曲がりくねって流れる水流は朝も夕暮れも絶景であり、百済の王城である公山城から眺める風景もこの上なく美しい。
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